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【3】
その日の朝の事。
いつも早めに楽屋入りするひとみが局のエレベータを待っていると背後からパタパタと軽い足音が近づいて来た。
「「おはようございます」」
五期メンバーのうちの二人が声を揃えて挨拶してくる。
ひとみの横に並んで立ち、顔を見上げてくるように笑顔を向ける麻琴、そのすぐ後ろで少しうつむきかげんの愛。
新メンバーとして娘。に加入して半年以上がたっていたが、やはりまだ気が張っているのだろう、麻琴と愛は集合時間よりもかなり早めに楽屋入りするのが当たり前のようになっていた。
同じ、五期メンバーでもどことなくボウっとしたあさ美と要領のいい里沙は先輩メンバーよりほんの少し早くやって来る程度だった。
そんな訳で、他の仕事からの流れでもない限り集合時間1時間以上前に入ることの多いひとみが麻琴と愛を楽屋で迎えるというパターンがここのところ続いていた。
それが、今日は楽屋に入る前に1階ロビーで一緒になった、これは少しばかり珍しいことだ。
「おっ、おはよ!今日はまた二人ともずいぶんと早いじゃん。一緒に来たの?」
ひとみは顔だけでなく体ごと向きを変えると二人の顔を交互に見て微笑んだ。
「あっ、いえそこで偶然会って…」
うつむいていた愛がひとみの声に弾かれたように顔をあげる。
丁度その時待っていたエレベータが到着して開かれたドアから数人の人間が降りて来た。
「あ、吉澤さん来ました」
そう声を掛けながら自然とひとみの肘に軽く手をかけた麻琴が降りてくる人を避けるようにしつつドアの方へと近寄っていく。
いきおいひとみはその手に促されるようにエレベータへと乗り込んだ。
降りて行った人間がちょうどバスケットボールのスクリーンプレイのように一瞬ひとみと麻琴の視界から愛を隠す形になる。
「あ〜、たかは…」
言い終わらぬウチにエレベータのドアは静かに閉じられてしまい、愛ひとりロビーに取り残して小さな空間は上昇を始めていた。
ひとみたちと一緒に乗り込んできた中年の男はひどく急いでいるようで、操作パネルに手をかけたまま一瞬バツが悪そうな表情をしたがすぐに階数表示板を見上げて知らんふりを決め込んだ様子だ。
内心、中年男に意見してやりたい衝動にかられたひとみだったが、局内で揉め事を起こしては仕事に支障がでる可能性もある。喉まで出かかった抗議の言葉をグッと飲み込んで男に鋭い視線を向けるが操作パネルに張り付くように背中を向けている相手には何の効果もない。
せめてもと自分たちの目的階数のボタンを乱暴に押すことで抗議の気持ちを現そうとしたが、それも叶わなかった。
ほんの少しだけ男の方へ身を乗り出す仕草を見せた時、乗り込むときそのままにひとみの肘に手をかけていた麻琴がそれを制するような動きをしたせいだった。
「申し訳ありませんが13階をお願いできませんでしょうか」
言葉は馬鹿丁寧だったが声の調子は明らかに怒気を含んでいる。鋭い麻琴の視線に一瞬目を向けた中年男は「13」というボタンを押しながら、おもむろにズボンのポケットからシワになったハンカチを取りだし首の後ろの汗をぬぐった。さすがに麻琴の丁寧な口調まで無視するほど厚顔ではなかったようだ。
エレベータは中年男の目的階であった5階で停まる、降りていくとき首を少し前に突出すような仕草をしたのが、かなり控え目な謝罪の意思表示のようでもあった。
ひとみの怒りのオーラよりも麻琴の慇懃無礼な態度の方が中年男には堪えたようだ。
また、扉が閉じて小さな空間にはひとみと麻琴の二人きりになる。
「なんか小川かっけー!」
ひとみは思った事を素直に口に出した。
すると麻琴はひとみの肘にかけていた手をそっとはずして控え目なVサインを作って見せる。
「かっけーですか?なんか嬉しいなぁ…吉澤さんかっけー物が好きって言ってましたよね」
そう言ってはにかんだ笑顔にひとみは内心ドキっとする。
(あ、なんかヤバイかも…)
メンバーにも内緒にしているが、ひとみには真希というれっきとした恋人がいる。
しかし、元々お気楽な性格な上、物事をあまり深く考えないひとみは自分が気に入った事象についのめり込んでしまう癖がある。人間関係においてもそれは例外となることはない。自分を慕ってくる年下のオンナノコや、可愛がってくれる年上の女性とつい親密な雰囲気になりそうになっては、そのたび真希に釘を刺されることが少なからずあった。
それでも、娘。のメンバーとトラブルになれば仕事がしずらくなるのは必定、なにかとちょっかいを掛けてくる真里や梨華にも意識して必要以上に踏み込まぬよう気を使っている。
五期メンバーに対しても同じこと。時折じっと自分を見つめている愛の視線に気づかぬ振りを決め込んでいたのだが、ひとみの視界の外側からいきなり飛び込んできた麻琴の笑顔は、あまりにも思い掛けない物でひとみが体制を整える暇さえ与えずにハートにクリーンヒットする。
内心の変化を悟られぬようにと、ひとみが表示板を見上げるともうあと1つで目的の13階になろうとしている。
「吉澤さんって、付き合っている人いますよね。」
軽く響く電子音と共に目的階のドアが開く、と同時に麻琴はひとみの方を見ず、エレベータを降りながらふと訊ねてきた。
ひとみはと言えば、まるで、顎に強烈なアッパーを食らったボクサーが脳を揺らされて暫く立ち尽くすように、思考が立ち止まったまま。エレベータを降りることも忘れ口を半開きにして麻琴の背中を見つめている。
「でも、いいんです。恋人もいないようなツマラナイ人に興味ないし。」
振り返ってサラリと言ってのける顔は満面の笑みで、発する言葉とは裏腹に限りなく無邪気な表情とも取れる。
「え、あの…え?」
そんな麻琴の表情と言葉のギャップについていけないでいるひとみがやっとのことで咽から搾り出したのはなんとも間の抜けた声、いくぶん擦れ気味でもある。
「降りないんですか?」
再び閉じようとするエレベータのドアに手をかけストッパーを押さえた麻琴が声を掛けてきて、ようやく自分が立ち尽くしていることに気づいたひとみはエレベータを1歩出ると回らない頭になんとか鞭を入れ一つの結論を導き出す。
「それって、小川はあたしに興味ある…つーかあたしの事好きって事?」
ひとみの問い掛けに麻琴は首をほんの少し傾げて応える、頷いたようにも「さあ?」と首を捻ったようにも見える仕草、表情は相変わらずの笑顔。
「後藤さん…ですよね?」
今度のひとみは擦れた声さえ出てこない、手にしていたバッグが床に落ちる「ドサッ」という音で我にかえった。
「なんか今日の吉澤さんカワイー」
三つも年下のオンナノコにカワイーと言われてしまった、今日はショックな事が続きすぎる。
つい先ほどエレベータに乗るまでいつもと同じ朝のはずだったのに…ひとみはあわててバッグを拾い上げて少し上気した頬を隠すように麻琴を追い越し足早に楽屋に向かって歩き出す。
「なんで、そう思うかな?」
半歩ほど遅れて付いてくる麻琴に振り向きもせず尋ねてみる。動揺した調子は声に現れ後藤との関係が事実だと認めたも同じ、その事に自分で気がつく余裕さえない。
「ずっと気をつけて見てれば解りますよ。普通に見ててもダメでしょうけど。だから愛ちゃんなんかは気づいてないと思います。大丈夫です、誰にも言いませんから安心してください。」
安心して下さいと言われても、はいそうですかと納得できる訳がない。
第一、麻琴が自分を見ていたという記憶がほとんど無いのだから「ずっと見ていた」という言葉もひとみにとっては今一つ信憑性に欠ける。
しかし、ひとみの中に膨れ上った動揺も疑問もすぐに解消される事はなかった。
二人の背後でもう1台のエレベータが到着した事を示す電子音が響き人が降りてくる気配がする。
先程、一緒のエレベータに乗りはぐった愛が先を歩く二人に追いつこうとするでもなく一定の距離を保ったまま楽屋への廊下を進んでくる。
いつもの慣れきった愛の視線を背中に感じながら、仕事が終わってから麻琴を問いただすしかないかと、ひとみは複雑な心持ちのまま「モーニング娘。様」と書かれた楽屋のドアを押し開けた。
→【4】
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