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【1】
今朝はいきなり後藤がアタシん所にやってきて、ヒトミをちゃんと繋いどけってエライ剣幕で捲し立てていった。
石川にちょっかい出したらしいヒトミを猛犬扱いの後藤。
でも、アタシ飼い主って訳じゃないんだけどな…。
本当にどうなっちゃってるんだろうね。
ヒトミが寮に来てからみんなどっかおかしい。
石川は妙にふわふわ浮ついてるし、後藤はヒトミの話題が出ただけでカリカリしてる。
矢口はいつも通り元気なのかなって思うと時々ふっと見た事もない真剣な顔になって考え込んでいたりする。
いつものんびりマイペースななっちまでが落ち着きがない。
中学生チームはいつも通りって思っていたら、さっきランチに遅れてきた紺野は食事中に赤い顔していきなり「完璧ですっ!」なぁんて立ち上がってみんなを驚かせたりしてた。
旅行に行ったはずが突然帰ってきた圭織は食堂に顔も出さないで部屋に篭ったまま…インターホン越しの声はいつもと変わりない様子だったのに、やっぱり手伝いに行ったヒトミと何かあったのかな。
当のヒトミは手伝いから戻って来たら妙なハイテンションで、石川にちょっかい出してワザと後藤を挑発してみたり、「完璧です」って小声で繰り返す紺野の顔をジッと見て相手を俯かせては面白がっていた。
本当に何を考えてるんだか解らない事ばっかり多すぎる。
アタシは小さい頃から「賢い」とか「しっかりしてる」って言われ続けてきたけど、世の中解らないことばかり…こんな小さな寮の中の世界でさえ謎に満ちてると思えてならない。
法律なんか勉強して周囲には弁護士志望って言ってるけど、身近な人間関係すら理解できないアタシが本当に弁護士なんかになれるのかって近ごろ自信喪失ぎみだったりする。
それにしても、ヒトミはいつから女の子口説きまくるようなナンパ野郎になったのかな?
三年前にヒトミの兄さんの葬儀で会った時はこれ以上ないってくらいに落ち込んでいた。久し振りに会って子供の頃みたいに元気を取り戻してるように見えて安心したのもつかの間で…。
吉澤のおじさんは相変らずみたいだし。
まあね、ヒトミもかわいそうなコだとは思う。
今どき珍しいくらい男尊女卑な父親の娘っていうだけで相当にストレスをため込む毎日なんだろう。
その上、超の付く優秀な兄さんが居て父親に全く相手にされないっていうのは子供心にも傷つくよね…。
小さい頃のヒトミはいつでも兄さんのすることを何でも真似して無理して頑張っているように見えた。
今から思えば、あれはヒトミなりに女の自分だってやれば出来るんだってところを父親に見せたかったんだろう。でも、そんなヒトミの努力は全然伝わっていなかった。
あの葬儀の翌日、アタシは見てしまった。
飛行機の都合で先に帰った両親と別れて吉澤の家に泊まった翌朝、客間から出たとたんに聞こえてきたおじさんの怒鳴り声。
「お前なんかにヒロキの代わりが出来るわけないだろう!」
おばさんは半泣きで廊下でオロオロしていた。
ヒトミが飛び出て来たのは、無くなった兄さんヒロキの部屋。
「弘樹が戻ってきたのかと思ったわ…」
リビングでお茶を飲みながら、ようやく落ち着きを取り戻したおばさんがぽつりともらした。
髪形や髪色までヒトミはヒロキを真似していたから二人は本当によく似ていて、ヒロキの部屋のデスクに向かっている後ろ姿がおじさんおばさんには本当に息子が帰って来たように見えたのかもしれない。
遺体はあまりにも変わり果てていたというから「もしかしたらあれは別人で息子はどこかで生きているのでは」と諦めきれない気持ちも当然なのかもしれない。
葬儀を済ませたからといって気持ちが整理出来ているとは限らない。
「ひとみがあの日我が儘を言わなければって考えてしまうの…お父さんも私も心のどこかでひとみに対してわだかまりがあるのよ」
滅多に会わないアタシにポツリポツリとおばさんは心情を吐きだすように話してくれる。
あの事故の日に潜りたいと言いだしたのがヒトミだって、そんな話は初耳だった。
そんな重大な話をアタシなんかに何故話すのかってちょっとだけ思った。
アタシの母親はおばさんの姉でアタシと母親はよく似ているって言われるから、おばさんは話しやすいのだろうか…今日、帰ってしまえば当分会うこともないアタシにだから却って話やすいのかもしれない。
おじさんの女兄弟たちに知れたりしたらあっという間に親戚中に話が広がってヒトミが非難されるのは目に見えているし…。
おばさんに頼まれてヒトミの部屋へ様子を見に行く。
昨日、ヒロキの恋人だという女の子にすがりついて号泣したヒトミ…自分でもヒロキの死に責任を感じているのだろう。
「ヒトミちゃん、入るよ」
ノックに返事はなかったけれどドアを開けてずかずかと部屋に入る。
なるべく普段通り、普段と同じ調子で気なんか使っていないフリ。
ヒトミはベッドに突っ伏して入っていったアタシにも何の反応も返さない。
その横にちょっと乱暴に腰掛けてヒトミの頭に手を伸ばした。少し躊躇ったけどそのまま髪に指を突っ込んでグシャグシャにかき回す。
何か言わなきゃと思ったけど言葉が見つからなくて、こんなとき気の利いた事の一つ言えない自分を少しばかり歯痒く思った。
何も言えないまま髪をなで続けていると身動きしないままヒトミがぽつりと呟いた。
「ウチが…死ねばよかったんだ…」
ヒトミが本気でそう思っているのか、顔を伏せたままで表情から読み取ることは出来ないけれどくぐもった声からは絶望しか感じられない。
誰か…誰かが許してあげないとこのコは壊れちゃう。
そう思ったけれどアタシは何も言えない、何も聞いていない何も知らないフリでいなくちゃいけない。
「死ねばいい人間なんていないよ」
当たり障り無い慰めの言葉に意味なんかないって解っていたけど他に言う事も見つからなくって通り一遍の事しか言えない。
「みんな、そう思ってるよ…きっと、あの人も」
アタシの手を怠そうに払いのけて上げられたヒトミの顔に涙の跡はなかった。
横に座っているアタシを押しのけてベッドから降りデスクに歩み寄ると、そこに置かれたフォトスタンドを取り上げてそっと胸に抱きしめる。
気にも留めていなかったから一瞬チラリと見えただけ。ヒトミとヒロキの間にもう一人髪の長い女の子が並んだ写真。
昨日、遠目に見たヒロキの恋人も髪が長かった…きっとあのコ。
おじさんの冷たい言葉にも涙を流さないヒトミだけど、写真を抱きしめたその姿は必死に涙を堪えているように見える。…涙を流していないからって悲しんでいない訳じゃないんだよね。
アタシは何も言わずに部屋を出るしかなかった。
アタシが居たらヒトミは泣けない…誰が居ても泣けないんだろう。
ヒロキの恋人とヒトミの間にはきっと同じようにヒロキと過ごした時間という拠所があるから、だから彼女の胸でだけ泣くことが出来たのだろうか。
ヒトミが部屋から出てこないまま気まずく重苦しい朝食の席に耐えたアタシは吉澤家を後にした。
このまま毎日のように傷つけあっていかなきゃならないかもしれない家族のこれからが気になったけれどアタシにも自分の生活がある…冷たいようだけどいつまでも留まっている訳にもいかなかった。
昨日、三年ぶりに訪れた吉澤家は一見何の変哲もなくごく普通な家族の風景のように見えたけれど、親子の関係は相変らず修復されていないようだった。
三年という歳月も人の心を解きほぐすには十分な時間じゃないということに少なからず驚いたけれど、こういうのって時間じゃないよね、とも思う。
明るく振る舞っていたけれど電車の中でのアタシの不用意な一言に声を荒げたヒトミは三年前の傷口からいまだにジクジクと血を滲ませているようで胸が痛んだ。
何も変わっていない、今でもヒトミは自分が許されていないと思っている。
それなのに、寮に着いてからっていうものアタシはヒトミの言動に驚かされるばっかりで…。
今はみんな半分面白がっているみたいだけど、いつかヒトミと関わったことで傷つくコが出るんじゃないだろうか、それが心配。
傷だらけでボロボロだったヒトミ…そのヒトミが誰かを傷つけることで心の平衡を保とうとしているんじゃないかって嫌な考えが浮かんでしまう。
誰でもいい、誰かヒトミを助けてあげて欲しい。
誰かヒトミを許してあげて…。
ランチを終えた食堂でニコニコと笑顔を振りまくヒトミとその周りを取り囲んで騒ぐコたちをぼんやりと眺めながらアタシの心は複雑に入組んだ迷宮の中をグルグルと巡るみたいに三年前と今を行ったり来たりしていた。
6−【2】←・→7−【2】
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