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【1】
カオリの部屋に一歩入ってドア脇のスイッチを入れる。
蛍光灯に照らし出される部屋…アタシの部屋と同じ間取りだけど、全体的にオシャレなインテリアで統一された部屋は真ん中のスペースを占領しているスーツケースがひどく邪魔な以外には特に変わった様子はない。
部屋の奥まで戻ってこちらを向いたカオリは出窓の縁に凭れるように立って、疲れたような表情をこちらに向けている。
ふと、ベッドサイドに置かれたスタンドミラーに目をやるとヒトミのシルエットが映り込んでいることに気付く。
そっと人さし指を口元にあてる仕草のあと、何もなかったように部屋に入って来たヒトミ。
…なに、今の?カオリに合図した?
何を秘密にしたいっていうの?
カオリがヒトミにキスをしたっていうのは紺野が目撃した事実。
それ以外に何か隠さなくちゃ成らない事があるってこと?
他の娘たちに知られようが平気な顔で複数の娘に言い寄っているヒトミがカオリを口説いていたとしても今更誰も驚きも怒りもしないだろうに…。
ごっつぁんがまた不機嫌にヒトミに冷たい態度を取る程度でしょ?
「どうしたのよ、圭ちゃんがカオの部屋に来るなんて珍しいね…ってか初めてじゃない?」
アタシはこう見えても法学部の学生なのよ。マジに司法試験一発合格狙ってるの。
一発で合格するなんて死ぬほど勉強するか、でなけりゃよっぽどの悪人でもなきゃ無理に決まってる。
食事の後のちょっとした休憩程度ならともかく、普段の自由な時間を無駄に使う余裕なんてない善人のアタシは他の娘の部屋を無意味に訪ねたりすることはほとんどない。
カオリとはお互い高校生の頃からの寮仲間で別段仲が悪いワケじゃないけど、そんな理由でアタシがカオリの部屋に入るのは今日が初めてのことだった。
「だって、カオリ戻ってきたっていうのにみんなのところに顔も出さないんじゃ裕ちゃんだって心配するよ?…どっか具合でも悪いの?」
アタシはカオリに近づいて側にあったデスクチェアに腰かける。
窓辺に背中を預けて立ったままのカオリの顔を見上ると、カオリの目は心持ち赤く充血しているようだった。
そのまま視線を移した先にいるヒトミは部屋に一歩入ってきたものの閉まったドアにもたれて上目遣いにアタシとカオリを見比べるように落着かない様子を見せている。
アタシの言葉に返事する素振りも見せないカオリに少し声を大きくしてもう一度話しかけてみる。
「カオリさぁ、ヒトミに会うのって何年ぶり?」
何も知らない振りで極力普通な声を装ってみるけど、少しだけ目が泳いでしまったのが自分でも解った。
「え?…ああ、圭ちゃんの従妹だって?」
カオリが言葉の途中で一つ息をついて、フッと小さく笑った気がした。
「何年…って、昼間会ったから半日振り?…ってことになるのかな」
カマをかけたつもりだったけど、見透かされた?
こう言っちゃ悪いけど、なんとなくポーっとした印象のカオリならすぐに引っ掛かると思ったんだけど。
「圭ちゃん、何言ってんのさ?変なこと言うなぁ」
入り口近くに立ったまま、それ以上中に進んではこないヒトミの声も至極平静なままだ。
でも、ちょっと挑戦的な強気のニヤケ顔に、やっぱり二人の間に何かあるんじゃないかってアタシは確信を深める。
変化球は失敗。こうなったら直球で攻めてみるしかないね。
「ねえ、エレベータでさ、紺野が見たっていうんだけどさぁカオリがヒトミに…そのぉキス?してたって…本当なの?」
直球勝負とは思ったものの『キス』って単語を口にするのはやっぱりちょっと躊躇われた…21にもなって恥ずかしがる歳でもないけど。
「なんで?圭ちゃんにそんな事…答えなきゃいけない?」
そりゃ、誰が誰とキスしようが何しようが当人同士の問題って事なんて百も承知。
「んー、別にいいんだけど、ほらエレベータとか廊下とか共同スペースだし、まだ小さい子もいるんだからちょっと気を付けて欲しいっていうかぁ」
大体が管理人たる裕ちゃんからして辺りかまわずお気に入りの寮生にキスしまくってるのに今更風紀がどうのこうのって言うのもおかしな話。
自分でも歯切れが悪いなと思いつつ、他に切り口を見つけられない以上食い下がるしかない。
自分の分が悪いって解ってるから強く言えないんだけど、ここまで来たら引き返せるもんじゃないしね。
「いいじゃない別に…したかったからしたの。カオリ綺麗な子が好きだから。」
カオリはじっと一点を見つめて独り言の様な呟きを漏らす、視線の先にはヒトミ。
会話しているハズのアタシを見ようとはしない。
カオリに見つめられたヒトミはしばらく動きを封じられたように身動きもせず、同じようにカオリを見つめ返していたのだけれど、一瞬の後我に返ったように軽く顔を背けて唇を噛んで見せた。
それから思いだしたようにアタシの方を見て、やっぱり目が合いそうになると下を向いて腕組みしていた手をジーンズのポケットに突っ込む、ちょうど肩をすくめたような姿勢はさっきまでのヒトミの自信たっぷりな姿よりも小さく見える気がする。
「横顔がね綺麗な子だなぁって、なんかキスしてみたかったの…圭ちゃんだってあるでしょ、そういうの?」
そういうの…って、どういうのよ!?
カオリの言い分に素直に頷くような人がそう居るとはどうしても思えないけど、ちょっと独特な発想を持ってるカオリには当たり前の事なのかな?
軽い眩暈を覚えながら、常識人のアタシがカオリと駆け引きしようなんて思ったのが甘かったのかとちょっと後悔した。
こうなったらヒトミの方から攻めてみるしかないかな…ってか、もうすっかり負け戦の気分なんだけど。
「ヒトミはどうなのよアンタ一方的に……されて、何か言うことないの?」
急に話を振られて驚いたのかうつむいていたヒトミの顔が何かに弾かれたようにアタシの方へと向けられる。
「え?…何?」
何か全然別のことを考えてでもいたような表情でアタシの言葉もはっきりとは耳に届いていなかったみたい。
「ちょっと聞いてなかったの?カオリに何か言うことないの?」
アタシの質問を理解したヒトミはポケットから両手を出すと掌をこちらに向けて『何もない』というふうに軽く振って見せる。
「…っていうかこっち入ってきなさいよ」
部屋の照明も届きずらいドア付近から動こうとしないヒトミにじれったくなったアタシは立ち上がって部屋の中ほどまで引っ張ってこようと胸の前で広げられたままの手を取った。
「何だよぉ…ちょっと、やめろって」
掴まれた腕を解放しようと力任せに腕を振るヒトミに振り回されて手を放すタイミングが遅れたアタシはドア脇のクローゼットに背中をを打ち付けて床に転がってしまう。
衝撃で扉の開いたクローゼットの中から積み上げられていたらしい段ボール箱や雑誌の束が転がりだしてくる。
ひとしきり雑貨の雨をやり過ごして、気を取り直すとバサバサと音を立てて降って来た雑誌の一冊がアタシの頭にヒット…っていうか笠地蔵じゃないわよ!っていうくらい見事に開いて頭上に乗っかっていた。
幸いにも重量のある物は降ってこなかったようでたいしたダメージはない。
…なにやってんだろアタシ、カオリにもヒトミにもいいように往なされて間抜けな恰好を晒してる自分が妙に気恥ずかしい。
すぐに立ち上がるとその拍子にアタシの頭から落ちた雑誌が緩く閉めた水道から滴る雫の名残のように床に滑り落ちて行く。
「あ…」
「これって…?」
中の見える状態に開いて落ちたそれを見たカオリとヒトミ、両方の口から小さな声が漏れた。
同時にいつも優雅にのんびりとした印象のカオリが部屋の最奥からすごい勢いで駆け寄ってくる。
何かある?…咄嗟にアタシは落ちた雑誌に手を伸ばしてタッチの差でカオリより先にそれを拾い上げた。
「ダメ、見ないで…お願い」
カオリの声より先に広げてみたそれは雑誌なんかじゃなく、使い古されたスケッチブックだということにその時初めてアタシは気がついた。
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