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【2】
カオリが隠そうとする物は何なの?
アタシが拾い上げたスケッチブックの開かれたページには後ろ姿の人物画。
海辺の風景に遠くを見ているような男性の絵。
ページをめくっていくごとにスケッチの対象は横顔から正面を向いて、描き手との距離も近づいている。
徐々に短くなる二人の距離はおそらくモデルと描き手であるカオリとの親密さを物語っているのだろう。
そこに描かれた男性はアタシも良く知っている…よく知っていた人物。
更にページを送ると描かれている人物が二人に増える。
ヒロキとヒトミ。仲の良い兄と妹の姿。
「アンタたち、やっぱり知りあいじゃないの」
スケッチブックを取り返すことを諦めた様子のカオリは床にへたり込んで下を向いたまま、アタシの言葉にも反応を示さない。
「ちょっと、貸して」
ヒトミがアタシの手からスケッチブックをはぎ取っていく。
下を向いたまま表情を隠すカオリの長い髪に、黒い服に埋め尽くされた会場で見た情景がフラッシュバックした。
あの髪の長い女の子、ヒロキの恋人はカオリだったんだ…。
でも、何故?兄の恋人、恋人の妹、そんなに隠さなくちゃならないような関係?
それに、エレベータでのキス…ヒロキに似ているヒトミを見て恋人を思いだしたってこと?
食い入るようにスケッチブックに見入っているヒトミの横からアタシも一緒になってのぞき込む。
まだ、アタシの知らない事がこの中に隠されているに違いない。
恋人とその妹の肖像はページをめくっていくにしたがって、いつしか妹一人だけの肖像ばかりになる。
兄の時と同じように最初は横顔だったり遠くを見つめて居る顔が正面を向き、やがて絵を見ている者を見つめ始める。
何?…これ。
まるで恋人を見つめるような絵の中のヒトミ。
まるで恋人を描くような愛情を感じさせる絵。
隅に書き込まれた数字を見ると、ヒロキが事故に遭う以前の日付。
二人はヒロキの事故よりも前から互いを想っていた?
そしてスケッチブックの最後のページにはごく最近の日付、
ヒロキの死後はずっと付きあっていたってこと…まさか今も?
けれどそこに描かれたヒトミはどう見ても今のヒトミじゃない。
スケッチブックの中のヒトミは3年前から変わらぬ幼く純粋な目をしていた。
「なんで…これって何なのさ?」
最後の絵を見つめながらカオリに聞くという風でもなく呟くヒトミ。
「よっすぃーには見られたくなかったな…」
座り込んでいたハズのカオリがいつのまにかアタシの横に来てスケッチブックに手を伸ばす。
それをそっと閉じて胸の前に抱きしめるカオリ、とても愛しそうに大事そうに。
ヒトミの様子を見ると二人はとっくに別れているらしい事が推測される。
でも、今でも気持ちの整理はできていない…少なくともカオリはヒトミを忘れてはいない。
「カオリ、あんたヒトミの事…」
カオリはスケッチブックを抱きしめたまま再び床にへなへなと座り込んでしまった。
「ふ…ふ、ふふふ」
急に笑い声を漏らすカオリにぎょっとする。
「バカみたいだよね、二年も経ってるのにまだ想い続けてるなんて…」
二年前に二人は別れたんだ…。
そういえばその頃からカオリはやたらと男を取っ換え引っ換えしてる時期があった。
あれもヒトミを忘れる為だったと考えれば合点が行く。
「なんだよっ!そんなのアリ?ウチの事好きだって言うの?じゃ、なんであの時ウソなんか吐いたんだよっ!!」
座り込んだカオリの前にしゃがみ込んで肩を乱暴に揺すりながら問いただす口調のヒトミ。
別れる時になにか行き違いがあったのだろう。
純粋な興味で二人の間にあった事を知りたいとも思ったけれど、他人が立ち入るような問題じゃないと思い直す。
ヒトミが今みたいに他人の心を玩ぶようになった原因はきっとカオリとの行き違いのせいなのだろう…二人の間できちんと気持ちを整理できればきっといいほうへ転がっていくに違いない。
「アタシが口出すような問題じゃないようね、けどちゃんと話合った方がいいわ」
へたり込んでいるカオリの腕を取って立ち上がらせ椅子に座らせる。
「アンタ達ちゃんと自分の気持ち相手に伝えてなかったみたいだし、こういうのってさぁちゃんと始めなきゃちゃんと終われないんじゃないの?」
まだ、しゃがんだままのヒトミの頭をポンっと軽く叩いて…『がんばんな』ってアタシの気持ちはヒトミに伝わったかな。
二人の事は二人にしかわからない、アタシはもうこの場所にいる必要ないね。
黙ったままの二人を残してカオリの部屋を出た。
アタシが廊下に出るときまで二人は一言も発さずその場に固まったまま。
ヒトミとカオリが互いに素直になって欲しい、ただそれだけを願ってそっとドアを閉めた。
「…で、アンタ達は何してんの?ってか裕ちゃんが先頭切ってるってどういうことよ?」
カオリの部屋を出た所に一塊になって様子をうかがっている寮生と裕ちゃん。
「あー、さぁみんな晩ご飯やでぇ…今日の献立はなんやったかな?」
アタシの視線からしらじらしく目をそらして寮生を追い立てる裕ちゃん。
まあ、みんなカオリを心配して様子を見に来たんだろう…そういう事にしておこう。
「いやー、カオリとよっさんがつきあってたとは意外やなぁ」
「でも、飯田さんと吉澤さんが並んだらカッコイイですよきっと」
「あさ美ちゃん見た時どんなんやった?絵になっとった?」
「………は、はいぃ?えっとぉ、あのぉ…いや私見てないしっ」
「キャハハ、紺野いまさらしら切っても遅いっつーの!」
…ちょっと、アンタたち楽しんでない?
裕ちゃん矢口を先頭にお子さまチームはワイワイと騒ぎながらエレベータへ消えていく。
なっちと石川、それにごっつぁんはお互いに顔を見合わせてかなり複雑な表情。
先に行った裕ちゃんたちがさっさとエレベータのドアを閉めてしまったので、三人とアタシは階段で二階へ降りるためエレベータホールを通り過ぎる。
なっちは足元を見つめたまま黙々と歩を進めて一人で階段を降りていく。
石川とごっつぁんも足取りは重い、階段室までたいした距離でもないのにノロノロと歩く途中にも一人が足を停めてはカオリの部屋を振り返ったり。
「いきなり殴ったこと悪いと思ってる?」
何度目かごっつぁんが立ち止まった時、石川が初めて言葉を発した。
「……………。でも、いくら昔辛い思いして傷ついてるからって、他人を傷つけていいってことにはならないよ」
自分の右手をじっと見つめながらごっつぁんは石川の問い掛けに頷くわけでもなく独り言みたいに呟く。
階段を降りていく二人の背中を見送ってアタシはもう一度カオリの部屋を振り返った。
素直になるって難しい事だけど昔みたいな本当の笑顔を取り戻してくれたら、きっとごっつぁんとも仲良くなれる。
でも、今のままじゃ無理、ごっつぁんの言うことはもっともな事だもん。
遅れて食堂に入っていくと矢口たちは既にテーブルについて楽しそうに騒いでいた。
こんな風に明るく盛り上がっているこの子たちだって、きっとそれぞれに問題を抱えているに違いない。
悩みの無い人なんてきっと居ないハズだもん。
ヒトミもね素直になればそれがわかるハズ、自分だけじゃないってこと。
でもね、みんなそれに流されてちゃダメなんだよね。
もがきながらも前に進んで、早くオトナになりたくてさ…。
でも、焦っちゃダメだよ。
今しか出来ない事や今しか一緒に居れない人、そんな物がたくさんあるんだから…ね。
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